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人を見下す心理から批判が起こり、批判には悪影響しかないという話

2017/05/17

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批判 見下す心理
いきなりですが、批判をする人が周りにいますか?口うるさく責めてくる人です。

私の父親は何でもかんでも批判をする人間でした。小さいときからやたら命令をしたり、周りを口汚く罵るのですね。

たとえばテレビでお笑いタレントが映ると「しょーもない。大したことないのにテレビ出るな」とか、子供に「そんな大学行っても飯が食えるか」とか「そんなもん買って何の役に立つんや」とか、とにかく批判が大好きです^^;

上から押し付けがましく文句を言ってくるのです。どうです?もう頭が痛くないですか?w

でもこういう人ってけっこういると思いますし、批判は子育てや仕事に悪影響しか与えません。この事実をすべての人が早めに知っておくべきと思い、今回は「批判」と「人を見下す心理」について書いてみます。

批判をしてたら要注意

みなさんも人を批判してませんか?友人に「それはやめるべき」とか、家族に「気の利かないやつだ」「もっとこうしろ」とか、無意識にいってませんか?もし言ってたら要注意ですよ!

というのも批判は何も生まないし、批判で相手の意見は変わらず、言われた人は怒りを持ち人間関係に悪影響があるからです。

ほんとにそうか?と思うかもしれません。このことを理解するために、まず実例をいくつか挙げてみます。







批判には意味がない

批判 見下す心理

いくら批判をしようとも意味がなく、むしろマイナスであることを説明します。

自己開発、セールス、企業トレーニングのプロであり、大ベストセラーである『人を動かす』の作者であるデール・カーネギーは著書のなかで以下のように述べています。

人間はたとえ自分がどんなに間違っていても決して自分が悪いとは思いたがらないものだということが、わかりかけてきた。

アメリカにいた暗黒街の王者アル・カポネは自分のことを悪人ではなく、慈善家だと考えていて次のように述べたそうです。

俺は働き盛りの大半を、世のため人のために尽くしてきた。ところが、どうだ。俺の得たものは、冷たい世間の非難と、お尋ね者の烙印だけだ

またカーネギーがシン・シン刑務所長から聞いた話によると、刑務所のなかの受刑者たちは自分自身のことを悪人だと考えている人はほとんどいないそうです。自分は一般の善良な市民と少しも変わらないと思っており、あくまでも自分の行為を正しいと思っているとのこと。

このように殺人鬼や極悪人でさえ自分は素晴らしい人間、自分の行動は正当なものであると考えているのです。このような極悪人でさえこのような認識なのだから、一般人である私達はなおのことでしょう。

このように自分は正しいと思っているのに、批判をされても理解ができないはずですし、むしろ自分のことをわかってくれず責める相手に怒りを抱くでしょう。人は批判されたとしても、それを聞き入れず考えを改めないということがわかっていただけると思います。

批判は人を狂わせる

次に、批判は意味がないだけでなく批判によって人は狂うという例を紹介します。

批判する親というのは、大人が子供のやることなすことをバカにし、子供を批判し失望してみせることで大人本人の自信のなさを隠し、自分の優位を確認しているのだそうです。

そして子供を批判する親に育てられると、その子供も自信を持てず、親と同じように他者を批判するようになるというデータがあります。子供は他者を批判することにより、周囲から自分も批判されるようになります。ついには周りとうまく関係を築けない人間になってしまうのです。

また仕事でも批判にはいいことはひとつもありません。

ペンシルベニア州ハリスバーグのフレッド・クラークは、自分の会社で起こった事件について次のような話をした「生産会議の席で副社長の1人が、ある製造工程について工場主任に意地の悪い質問をしていた。その口調は攻撃的で、手際の悪さを槍玉に挙げた。同僚の目を気にした主任の応答は煮えきらなかった。副社長はいよいよ激怒し、主任を叱りつけ、嘘つきとまで罵った。
この衝突で、これまで保たれていた両者の協力関係は一瞬にしてくずれ去った。この主任は、もともと優れた社員だったが、この時以来、会社にとっては無用の人物になってしまった。数ヶ月後、彼は社をやめて、競争相手の会社に入り、大いに活躍しているそうだ

このように批判には損害はあっても利益はなく、人に悪影響しか与えないのです。明日からやめましょう^^







見下す心理から批判が起こる

批判 見下す心理

では人はなぜ批判をするのでしょうか?もちろん批判するのは自分の自信のなさを隠す意味もあるのでしょう。というのは批判することで自分の優位性を証明できるからです。

自信のなさを隠す意味以外にも、批判というのは見下す心理からも生まれます。自分が優位で上の立場だと思っているからこそ下の立場のものに命令や批判をするのです。自分よりも知識も経験もあって、偉いと思っている人には批判なんてできないでしょう?

この見下す心理をなくさないと、批判するという悪癖からは抜け出せないのです。

では見下す心理はどうやったら消すことができるのでしょうか?そのためには見下す心理がなぜ起こっているかを理解せねばなりません。

人を見下す心理はなにが原因?

そもそも人に上下があるのでしょうか?現代だと「勝ち組負け組」なんかのように、お金を稼いだ人間が偉いというような資本主義的な価値で上下が付けられていますよね。あとは外見が美しいと上であるとか、女性にモテると上とかっていう価値観です。

この上下は家長や長男という父系が身分が高いとか、ある職業は身分が高いとかという昔から日本の考え方が刷り込まれているからでしょう。長男なので次男よりも偉い、弁護士だから俺は偉いと考え、だから長男であったり弁護士だったりする自分は人を見下してもよい、という論理になるのです。

これは弁護士や医者などの職業だけでなく、その他の職業の人でも社会的立場の低い職業の人に対して見下すなど、あらゆる職業や立場で起こっていることです。

これらの上下をつける差別的意識というのは昔から日本にありました。先生や医者、坊主は位が高いというように以前からあったのです。

この考え方というのは以前に日本に伝わった儒教の影響によるものだそうです。詳しくは下記の本を読んでほしいですが、儒教が父系の思想を刷り込んでおり、特定の人物が偉く、職業にも貴賎がある、というような考えを浸透させているそうです。

なので無意識に自分に刷り込まれた儒教的な刷り込みから抜け出ることが、人を見下すという悪影響から抜け出る第一歩なのです。

刷り込みから抜け出るには

無意識に刷り込まれている差別意識から抜け出るには、その考え方の間違いに気づかなければなりません。

家長や長男が偉いという考え方は単に儒教や仏教が決めているだけのことです。名前や祖先とのつながりを残すために家長が偉い、家長には長男がなる、というような風習があるから長男や家長が偉いと思われているのです。

しかし家長だから、長男だからといってなにも偉くはありません。次男も三男も長女も次女も同じであり、人格によってのみ敬われるべきなのです。

教師や医師、弁護士などの社会的に地位の高い職業というのは、特別な試験に受かったというだけです。もちろん努力や学習を行ったというのは素晴らしいことですが、それは単にその職業につきたいから本人が行ったことでしょう。努力や学習を尊敬する必要はありません。

試験に合格した人が他者よりも上であるというのは、中国の科挙と同じように儒教的な考え方です。どんな職業についている人も同じように敬わなければなりませんし、その人物を敬うかどうかはあくまで人格で判断しなければならないのです。







批判をなくせば人間関係が円滑になる

人に上下をつけずにすれば批判をする必要もなくなります。

人を見下すことをやめ、批判することをやめればどのようなことが起こるでしょう?

下記の例を引用します。

オクラホマ州エニッドのジョージ・ジョンストンは、ある工場の安全管理責任者で、現場の作業員にヘルメット着用の規則を徹底させることにした。ヘルメットをかぶっていない作業員を見つけ次第、規則違反を厳しくとばめる。すると、相手は不服げにヘルメットをかぶるが、目を離すと、すぐ脱いでしまう。

そこでジョンストンは、別の方法を考えた。

「ヘルメットってやつは、あんまりかぶり心地のいいもんじゃないよ、ねえ。おまけに、サイズが合ってなかったりすると、たまらんよ。君は、サイズ、合ってるかね。」

これで、相手は怒ったり恨んだりすることもなく、規則はよく守られるようになった。

引用:『人を動かす』デール・カーネギー

同じような経験があるのではないでしょうか?こうしろ、といわれるとやりたくないですが、このようにフランクに共感を持って言われると協力したくなる。

このように批判をやめることで、人に提案を聞いてもらったり人間関係を円滑にできるのです。そして批判をやめることで共感がうまれるのです。みなさんも人を見下すのをやめて批判をやめましょう!

 

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