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『ローガン』感想!許されざる者ローガンはアメコミヒーローを終わらせたかもしれない。

2017/06/24

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ローガン 映画
ブライアン・シルバー監督作の第一作『X-MEN』から17年、『X-MEN2』『X-MEN:ファイナル ディシジョン』『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』『ウルヴァリン:SAMURAI』『X-MEN:フューチャー&パスト』『X-MEN:アポカリプス』と、ウルヴァリン(=ローガン)が登場する作品が多く作られてきました。そんな歴史に『LOGAN/ローガン』は終止符を打つ、ウルヴァリン最後の映画です。

私はX-MEN映画は必ず観るという習慣があり、けっこう外れのものも多いんですがこれまでのX-MEN映画はすべて観ています。今回も無意識かつ自動的に劇場に足を運びました。予告編なんかの事前情報だと、これまでのX-MEN映画と同じく強敵をヒーローのローガンがムキムキな体でグッサグッサと倒すんだろなー、んで女の子を嫌々世話を見るんだろなー、くらいに思ってたんです。

ところがどっこい!今作はヒーロー映画やアメコミ映画とは呼ぶのを控えてしまうような、骨太な人間ドラマ、深いテーマを持ったとんでもない映画に仕上がっていたんです!

もうね、この作品以降、手から糸を出すタイツに身を包んだヒーローや、空を飛び回りながら鉄のスーツを着た金持ちが強敵を倒すというような話では満足できなくなることは間違いありません。そしてこの映画によってヒーロー映画に求められるものは大きく変わり、バットマンシリーズの『ダークナイト』がヒーロー映画に大きな影響を与えたのと同じように、ヒーロー自体の描き方も変わるかもしれないってぐらいの作品に仕上がっていると思いますよ!







『ローガン』あらすじ

ローガン 映画
すでにミュータントの大半が死滅した2029年。長年の激闘で心身共に疲弊しきったローガン(ヒュー・ジャックマン)は、もはや不死身の存在ではなかった。超人的な治癒能力が衰え、生きる目的さえ失った彼は、雇われのリムジン運転手として日銭を稼ぎ、メキシコ国境近くの荒野にたたずむ廃工場でひっそりと暮らしている。その廃工場には衰弱しきってスーパーパワーをコントロールできなくなったチャールズ・エグゼビア(パトリック・スチュワート)と、太陽光のもとでは生きられないミュータントのキャリバン(スティーヴン・マーチャント)もいた。

からくもピアース一味の包囲網を突破し、廃工場から逃走したローガン、ローラ、チャールズは、ノースダコタをめざして車での旅を繰り広げていく。あどけない外見からは想像もつかない戦闘能力を持ち、ローガンにそっくりの特徴を備えたローラは、はたして彼との間にどのようなつながりがあるのか。やがて研究所の責任者である邪悪な遺伝子学者ドクター・ライス(リチャード・E・グラント)が差し向けた最強の敵が迫るなか、ローガンはミュータントの最後の希望が託されたローラを守るため、命がけの闘いに身を投じていくのだった……。

『ローガン』感想

ローガン 映画
映画開始当初の印象はずばり「ハードボイルド」。砂の荒野で、年老いたローガンと認知症に苦しむチャールズはひっそりと暮らしている。ローガンの顔には深い皺が刻まれ、白髪が目立つ。片足を引きずって歩くその姿には、超回復と強靭な肉体で無敵を誇った”ウルヴァリン”の姿はない。これまでの作品の野性味溢れるローガンとのギャップに驚くでしょう。

ただ落ちぶれながらも、時折強さを見せるローガンの姿には男の哀愁を感じます。「ローガン」という映画タイトル、登場人物の少なさ、ローガンをひたすら追うカメラなどからわかるのは、この映画はスーパーヒーローを描いてるのではなく、ローガンという1人の男を描く映画だということ。

そしてこの映画のテーマはずばり「暴力」と「贖罪」でしょう。

X-MENに憧れるローラにローガンが語るセリフ「コミックは作り物だ。現実はこうはならない。」は、これまでの『X-MEN』で多くのものが死んでおり、コミックのような軽いタッチではないということを暗示しています。そしてこの映画ではとにかく暴力描写がエグい。ローガンの爪が敵の顎から入って脳天から突き抜けたり、血がビューっと出たり。。監督はこれをやるためにあえてR15指定でもこういった暴力描写をいれたようです。ここに残酷な暴力描写を見せなければならない、という意図が見えます。

ローガン 映画
ヒーローというのは映画やコミックではかっこよく敵を倒しますが、それは敵を殺すということであり、暴力を行なうものは自分も同じように狙われる、ということが描かれているのですねぇ。作中でも映画『シェーン』から「一度人を殺した人間は、もう後戻りはできない。人殺しの烙印からは、生涯、逃れる事はできないんだ」というセリフが何度か語られます。あの獣のようであったローガンが罪を感じているのです。

暴力が暴力を呼ぶ。これまでローガンは正義の名のもとに多くの人を殺してきましたが、後悔や罪の贖罪のために死にたがっているのです。そんな彼に与えられる最後の贖罪とは?

愛するものを失うことを恐れていたローガンは、失うことが怖いから人を寄せ付けない。そんなローガンが、自身のDNAを持った子供ローラと行動を共にすることにより、だんだんと人間味を取り戻していきます。ローラを守るために身を挺して戦う姿は、かつての勇敢なローガンが蘇った瞬間です。そしてローラに対してのあの最後のセリフ(!)がローガンの戦いだらけの人生が救われたことを表しています。

ローガンを17年間観てきて、ローガンの足跡を知っているからこそこの映画でローガンが救われたことに激烈に胸アツです!







ヒーローの終焉

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この映画ではローガンという1人の男の人生を描いていますが、もうひとつ触れておかないといけないことがあります。

それはこの映画でヒーローというものの描き方が変わるのではないかということです。というより変わるしかないのではないでしょうか?

まずこの作品では明らかに西部劇がモチーフとなっています。劇中で『シェーン』が映りますし、舞台は荒野でカウボーイたちも出てきます。監督自身も下記のように語っています。

西部劇はただ昔のアメリカを描いた話ではありません。時代劇などと同じで、基本的にはシンプルな作りの寓話になっています。

映画は過剰に複雑な作りになりがちですが、私は西部劇やノワールの定形を使うことで、よりシンプルなものを作ろうとしています。

引用:http://www.gizmodo.jp/2017/06/logan-james-mangold-interview.html

ヒュー・ジャックマンも「『許されざる者』や『レスラー』のように、ローガンの内面に迫ってみようとなりました。」と語っています。(引用:https://goo.gl/v8DSu3)

そして『シェーン』や『許されざる者』は同じことを描いています。それは「西部劇のヒーローはヒーローではない。暴力が暴力を呼ぶ負の連鎖を起こしている存在。」だということ。

どういうことかというと、西部開拓時代には弱いもの(原住民、黒人奴隷、そして女性)から武力で富を略奪してきたのが西部劇の主人公たちで、それは決して伝説だとかヒーローなどというかっこいい言葉とはほど遠いものだった、という事実をこの作品たちは明らかにしてしまったのですね。特に『許されざる者』は、ガンマンがヒーローではないという事実を明らかにしてしまったので、これ以降は西部劇を作れないということから「最後の西部劇」と言われました。

同じ現象がこの『ローガン』で起こるのではないかと思うのです。

『シェーン』や『許されざる者』などの西部劇でガンマンがただの人殺しであることが描かれたように、『ローガン』ではヒーローもまた、ただの人殺しであるということ。『許されざる者』でガンマンという幻想が終わったのと同じく、『ローガン』でもヒーローという幻想が終わったといえるのではないでしょうか。

ヒーローとは人間が常に求める存在ですし、もちろんヒーロー映画が終わることはないでしょう。今後もアメコミ映画は多く作られ、そこで活躍するヒーローたちはよかれと思って正義を行っていくでしょう。しかし、それがただの人殺しではないかという疑問を常に投げかけられることになります。今後はもっとアメコミヒーローの負の部分も描かれることになるかもしれません。

このようにジェームズ・マンゴールド監督は見事にヒーロー映画におけるパラダイムシフトを行ったのではないでしょうか。

ウルヴァリン、つまりローガンは荒々しく、論理を飛び越えてきたキャラクターでしたが、だれよりも人間味がありました。こんなキャラクターじゃなければ今作のようなアメコミヒーローの見方を変える作品を作ることはできなかったでしょう。ぜひ一度観ていただきたい名作です!

X-MENを観たことない人はこれから見なはれ!

X-MENのシリーズで、作中の時間が一番初めの作品です。監督が素晴らしく、演出もキャラクターも魅力的です!X-MENを観るならまずはこれから観るといいと思いますよ!

 

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