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『ネオンデーモン』感想。美しい色彩と見つめ続ける女たち。

2017/06/04

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ネオンデーモン
1月13日公開で、以前から気になっていた『ネオン・デーモン』を観てきました!

感想としては色使いや画面作り、ストーリーがかなり斬新な映画でした。思ってたようなおしゃれなだけの映画ではなくて、かなり情報量があり、内容もサスペンスだと思ってたらかなり特殊なホラー映画でした。油断してた分、衝撃が大きかったですね。後味が悪い映画ですが、頭の中から離れませんし考えさせられる映画でした。

今回はこの映画を解説してみます!







あらすじ

ネオンデーモン
誰もが目を奪われる特別な美しさに恵まれた16歳のジェシーは、トップモデルになる夢を叶えるために、田舎町からロスへとやって来る。すぐに一流デザイナーやカメラマンの心をとらえるジェシーに、激しい嫉妬を抱くライバルたち。

ジェシーに仕事を奪われた彼女たちは、常軌を逸した復讐を仕掛け始める。だが、ジェシーの中に眠る壮大な野心もまた、永遠の美のためなら悪魔に魂も売り渡すファッション業界の邪悪な力に染まっていく。そして今、光と闇を得たジェシーが、ファッション業界のさらなる闇へと踏み込んでいく──。

美しい色彩

ネオンデーモン
レフン監督の映像の特徴は、前作『ドライブ』でもわかるように色彩のコントラストが非常に強いこと。これは、監督自身が中間色が見えづらいという色彩障害を持っている事が関係しているそうです。

今作でも原色が強く、陰と光の陰影が強く独特の色彩が美しいです。特にクラブなどの人工的な照明が当たる夜のシーンはその陰影が美しい。

今作はスタイリッシュかつクールな画面構成で、まるでファッション雑誌の1ページのようです。それもそのはず、レフン監督は以前GUCCIのコマーシャルフィルムを手がけていたこともあるのです。

美の業界に身をおき、美というものを突き詰めてきた彼だからこそ作り込めた画面でしょう。美というテーマを表現する今作では絵作り自体に美しさがないと、このテーマは語ることができなかったでしょうし、美しさの意味がわかっていないと、美を語ることはできないからです。

見ることと見られることとは

ネオンデーモン 見る
この映画では、セリフがない無言のシーンが多いです。セリフがなく顔の表情や動きだけの無言のシーンが多いのです。それがまた不気味な空気を醸し出しているのですが、この無言のシーンから読み取れる情報が多いです。

特に、この映画では「視線」に注目すべき演出がなされています。例えば、クラブのシーンで暗闇のなかでショーを見るジェシーを見つめる女の姿がじっと映されたり、モデルのオーディションでジェシーを見つめるデザイナーの目、そしてそれを選ばれなかった女がじっと見る目、などじっと視線が画面に映し出されます。

この映画の舞台はモデル業界ですが、モデルという仕事自体が人から見られることです。モデルの価値とは人の視線を集められることなのです。

しかし見られることを優先すべきモデルたちは、嫉妬や危機感から主人公のジェシーを見てしまうことになります。整形を繰り返した人工的な美である自分たちは自然の美に恐れおののきます。そして目が離せなくなるのです。その視線にはどんな思いが込められているのか、ということがこの映画の展開を左右します。

一方、ジェシーはというと他者というより鏡に映る自分や人から見られる自分ばかり見ています。そこが対比として描かれています。

見ることとは他者の価値を認めることであり、見られなくなるということは存在を否定されること。この映画では見ることの意味というのが一つ一つのカットで描かれているように思います。

後半で重要なシーンとなるところで目玉が出てきますが、これにも大きな意味があるでしょう。「見る」ためには「目」が必要であり、目を得ることは視線そのものを自分のなかに取り入れるということなのです。







作られた美=死

ネオンデーモン
ニコラス・ウィンディング・レフン監督は以下のように語っています。

真の美とは、“不完全さ”だ。だからこそ、ナルシシズムはいい。何故かって、自分自身を美しく思い、愛することで、例え本当は綺麗でなくても自分をだますことが出来るからね。手が加えられていない、不完全なままでいられる。

整形は、僕にとってもはや“死”を意味する。だから整形した女性を魅力的で、美しいと思うことは、屍姦の感覚に近いと思ってるよ。

引用:ORIVERcinema

整形をしたり人に嫉妬したり、美がすべてだと考える女性はすでに死んでいることと同じだと監督は述べます。整形をしてまで美を追い求める主人公の周囲の3人の女は美に執着して、生まれながらに美を備えている主人公に対して常軌を逸した行動を起こします。それはさながらゾンビが生者を襲うのと似ています。

死体に死に化粧を施す仕事をしている、メイクスタッフのルビーはその言葉の通り屍姦をしています。作られた美を美しいと思うルビーもまたメイクを使って偽物の美を作る人物=ゾンビを作る人なのです。そんな人間は天然の美しさを持つジェシーをもゾンビに変えようとします。

このような彼女たち=ゾンビの姿はまるで悪魔のようです。これが映画のタイトルの「デーモン」といえるでしょう。人から注目される「ネオン」の光を求める女たち=「デーモン」とは人工的な美に頼る女性を表しています。

これは美を求め続けて悪魔に魂を売ってしまう人間の狂気を表現した映画といえると思います。

最後にニコラス・ウィンディング・レフン監督がインタビューで語った下記の言葉が、美に対するこの映画の解釈だと言えます。

僕は登場人物たちに何か特定の女性観を反映させているつもりは一切なくて、女性に限らず人間の狂気を誇張した作品かなと。とにかく、美というものは一筋縄ではいかない、非常に複雑なものだと捉えています。

美というものについて話すことは、実はすごく人を居心地悪くしたりしますよね。表面上だけで言っていることと、実際はこうだろうっていう部分、いわば虚実が両方ともあるから。それをあえてファンタジーの、空想の世界に置くことによって、美とはこういうものだと決めつけずに、批判するわけでもなく、風刺するわけでもなく描いているんです。美というものの力を縦横無尽に表現するような映画にしたほうが面白いと思ったわけです。

私的評価:84点!

 

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