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映画『溺れるナイフ』感想。キラキラ映画と思ったらあかんで

2017/06/04

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溺れるナイフ

『溺れるナイフ』漫画原作者のジョージ朝倉は、この「ナイフ」を「十代の自意識」という意味で『溺れるナイフ』というタイトルをつけたそう。

「自意識に溺れる」思春期の少年少女を描いた『溺れるナイフ』は、よくある「キラキラ映画」と呼ばれる、中高生向け大量生産漫画原作お手軽恋愛映画ではない。

誰しもが通る、自意識に囚われてしまう思春期に、狂おしく切ない気持ちをぶつける人間同士の物語。

まったく原作を読んでいなかったが、原作を読む読まないに関わらず、この作品はひとつの青春物語、ヒューマンドラマとしてしっかりとした「映画」になっていた。







自意識との葛藤

東京でモデルとして活躍していた夏芽は、家族の都合で仕事をやめ東京から田舎に引っ越すことになる。本来刺激溢れる世界で生きていた夏芽には田舎は退屈でつまらなく映る。しかし、そこで破天荒で神々しく、美しいコウ(菅田将暉)と出会う。

「この街のもんは全部俺の好きにしてええんじゃ」という傲慢な自意識を持つコウ。そんな万能感・カリスマ性を持つコウに恋をする夏芽。

2人は他の人間が持たない「なにか」を持った人間であり、それがゆえに生まれる自意識を持て余している。そんな2人だからこそ共鳴する。

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この思春期の自意識というのは誰しもが体験するものだ。そして七転八倒しながら折り合いをつけていく。

特に異性に対して抱く幻想というのは扱いが難しい。少年少女は恋をすることでその幻想から解き放たれ成長していくのだ。この映画はその万能であるという幻想を持った少年とそんな少年に恋をした少女の物語。

自身が万能でないことに気付き自信を喪失してしまう少年と、万能な男という幻想が崩れてしまった少女。この2人の恋する気持ちや葛藤がとても繊細に描かれている。

キャラクターの魅力

溺れるナイフ 感想
キャラクターを演じる俳優が素晴らしい。

今作のコウというキャラクターは、どこか浮世離れしていて、神々しく、幻想を抱かせる男である。そんな男を成立させるには、それに見合う外見や佇まいが必要だ。ここを失敗すると、田舎にいそうな暴力的で無知なチーマー程度にしかならないだろう。

だが菅田将暉は、彼以外考えられないほどの適役で、うまくコウに説得力を持たせている。高身長で金髪に白い肌、やせた体など現実離れした人間。特に、声と方言の力が大きい。というのも、「めんどくさいんじゃ」とか「つまらんのう」みたいな、ぶっきらぼうで男性的な方言がこのキャラクターの男らしさ、クールさをうまく表している。コウのちょっとかすれた声もまた、女性の琴線に触れるのだろうな、と思われる。

小松菜々演じる夏芽もまた、特別な存在である。モデルや女優としてもっと高い次元を求めているだけでなく、コウのためなら何でもするというような狂気性や芯の強さのようなものを表現しなくてはならない。小松菜奈の整った顔やどこかアンニュイな雰囲気、三白眼も相まって、夏芽をうまく表現できていたように思う。

次に重岡大毅が演じる大友も素晴らしかった。コウとは真逆の普通の青年。安心感や安定がこのキャラクターにはある。どこかまぬけで信頼できる、大友の快活さ、心地良さが夏芽の心を揺らさざるをえないという説得力がある。

これらの若い俳優たちの若々しいエネルギー、美しい姿、演技を観るだけでもこの映画の価値はあると思う。

優れた映画表現

溺れるナイフ
監督は、少女の心情表現に定評のある「若き天才」山戸結希。その実力は確かなようだ。

今作では細かな描写が、先の展開のメタファーや2人の心理の暗示になっている。

映画冒頭、海を映したシーンがある。普通の恋愛映画であれば、晴れの日にきらきら輝く海を撮るであろう。しかしこの映画ではどんよりとした暗い海を映す。それが神の海であり、神の領域に立ち入った2人には不吉なことがこれから起こるという暗示のように。

また、少年と少女が川で話しているところを遠景で撮影したシーンがある。2人の間には小さな川。そして夏芽からその川に入りコウに近寄っていく。これは夏芽がコウに恋をしていて自分から心理的に近づいているという2人の心のメタファーになっている。

夏芽のペディキュアの色でコウと大友の間で揺れ動く心を表現していたり、細かなカットに意味があるのだ。このような演出ができていない監督も多いので、かなりしっかりとした作家性があり、映画を表現として作れる監督なのだと思う。

テーマ

美しい 溺れるナイフ
原作ありきの物語なのでテーマについては話しづらいが、思春期の少年少女のラブストーリー、青春劇というのは数多く作られてきた。

でも、この映画のようにピュアだからこそのどうしようもできない、異性に抱く幻想や恋におけるドロドロした自意識を描いたものは意外と少ないのかもしれない。

恋愛映画で描かれるようなきれいな恋愛よりも、このような勘違いした幻想、自意識に振り回されている姿のほうが、あの頃の恋愛の核心に触れているのではないかと思う。

そう考えるとこの映画は、他者や自分をも傷つける「ナイフ」を持て余す少年少女たちが、苦しみながらもがき「溺れる」姿をリアルに描いた作品だろう。

足りない点

見入った映画だが、気になった点、足りない点もある。

前半部分、夏芽がコウに出会い恋をして、付き合うようになるまでの展開が性急すぎる。夏芽がどうしようもなくコウに恋をする、コウが夏芽を好きになるまでの理由付けがないと、原作をしらない私は「いつのまにこんなに惚れてるの?」と置いてけぼりをくらってしまった。

もう少し2人の交流を描いてもよかったのではないか。

小松菜々がまだまだ「ただの女子」であるように違和感を感じてしまう部分があった。「遠くにいける」キャラクターなのだから、もっと過剰でなければならないだろう。例えば二階堂ふみのように。そうすれば代替不可能な2人の恋という話に違和感がなかったと思う。

しかし、全体として美しく、見ごたえのある映画だと思う。よくある少女漫画原作の中身のない「キラキラ映画」ではなく、しっかりとした人間物語が描かれていたと思う。

10代ならではの、熱く苦しく激しい恋愛は必見!

85点

漫画大人買いする!

なんかかっこつけて評論調で書いてみたけど疲れる。。今度からはしゃべり口調で書きますw

 

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